
先生がいない現代(いま)だからこそ【管理人のエッセイもどき:2025年5月25日】
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がやてっく管理人ゲスト
皆様、こんばんは。
今日は午前中からライブに参加していたために、書き出しが夜になりました。まぁ、急いでも仕方がないのでゆっくり書いていきますね。僕には、頭の中と心の中を同時に曝け出せる友人が2人います。いや、友人は他にもいるんですよ。ただ、友人って基本は気持ちというか心の繋がりが優先されるものだなと思っていて、頭の中身まで全力で打ち明けるのは、友人の役割ではないと思うんですね。
例えば、その役割を担ってくれるのは「先生」とかがそうじゃないですかね。先生と言っても、学校や塾の先生ではなくて、一番近いのは夏目漱石の「こころ」に出てくる先生でしょうか。生活やら人生を説いてくれるタイプの先生です。現代において、身近な人にそんな人がいたり、そういう人に師事する文化があるのかは分かりませんが、まぁ、頭の中を曝けていい・許してくれる役割は、そんな先生みたいな人が近いでしょう。
僕のその友人は先生なのかというと、そんな事はありません。学生の時からずっとそんな接し方で、ある意味切磋琢磨してきたので、戦友というのが一番近いのかもしれないです。あんまりしっくりきてはいませんが。
別に、その2人が自分にとって友達として優勢だとか、そんな話をするつもりはありません。友人に優劣をつけるつもりは全くないです。みんな、自分の人生に必要だった人たちですからね。じゃあ、なぜわざわざ友人を分類するのかというと、そういう大人の交友関係に必要だと思うようになったからです。
大人になったかどうかは本人が決めることですから、別にどっちだって良いと思います。子どもだと思ってれば子どもだし、大人だと思ったなら大人なのでしょう。それは、大した問題ではないはずです。大事なのは、時間が残酷なまでに環境を変化させていくことで、ポジションなんて関係ないよと言わんばかりに、そこで同じようにはいさせてくれないということです。
自分の周りで起こるあらゆる出来事が変化するのなら、常にチューニングをする必要はあるわけで、同じじゃないのに同じであると主張するような行為は、現実に激しい違和感をもたらすなと思うのです。今、僕は自分の出来ることでもって興味の赴く場所に行き、そこで学びながらも学んだことを活かして挑む段階に入ってきています。こころのような時代ではない以上、現代に先生はいません。だからこそ、頭と心を曝け出せる友人を認識して、得たものをシェアする必要があるのだろうと、そんな風に思うのです。
僕は、良い友人に恵まれました。大人になっても、根本的には何も変わらず、居場所をちゃんと残してくれている友人です。僕は安心して理想を追い求めていくことが出来る。たとえそれが、少々残忍な結果になったとしても。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。夏目漱石のこころは、本当に読んだほうがいい名作ですよね。
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