
心と頭の散文【管理人のエッセイもどき:2025年7月2日】
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がやてっく管理人ゲスト
越谷雑談がやてっくを始めたばかりの頃、浮ついた理想ばかりを語っていました。いつか、多くの人ががやてっくの真似をすることになるとか、今思い返しても恥ずかしいものです。でも、あの時はあの時ですごく楽しかったなぁと、最近思うようになりました。無鉄砲だから出来たことが沢山あって、振り返ると若干甘いなと感じることでさえも本気で打ち込んでいました。
日を重ねるごとに、そういう無軌道な感じはなくなっていくような気がします。いや、それが良くない事だと思っているわけではありません。精緻になってきたという事だと思うし、おかげで見通しも鮮明になってきました。そういう感傷的な測量をしたいわけではなくて、無意識のうちに失ってしまいがちなものを忘れないようにしたいなと思ったわけです。
あの時の純粋な気持ちや手探りで何かを得ようとするドキドキは、放っておくとすぐにどこかへいってしまいます。それがもったいないなと思うし、忘れなければ大きな一歩を踏みこむ時に役に立つでしょう。「いいじゃん、とりあえずやってみようぜ」という心意気は、一定の算段を終えた後には必ず必要な合言葉です。その合言葉は、知っているだけではだめで、唱えたときの高揚感と唱えた後の失敗を笑いあった日々がないと発動しないと思うのです。
算段だけが鋭くなっても、行き切れなければ絶対に失敗します。踏み込んで踏み抜いた先にしか、成功というか納得はないです。それを可能にするのは、鋭い算段と浮ついた理想なのではないか。そんな風に思うのです。
継続してやるというのは、本来は誰にでもできることです。出来ないのではなく、やらないだけ。理由があるように見立てるだけです。それだって、鋭い算段と浮ついた理想を口に出した奴の中の数名が、なんだかんだ言って掴むのです。
やるというのは、一定期間残り続けることだと僕は思っています。今は、残すことが簡単になりました。だから、残し続けることが出来て、初めてやったということになると思います。心に消えない気持ちを作る合言葉は「いいじゃん、とりあえずやってみようぜ」
理想は所詮理想ですが、浮ついた理想の1つや2つ、持っていなきゃ何もできない。僕は、そう思って記事を書いています。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。散文には、裸の心が表れますね。
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