
趣味と娯楽【管理人のエッセイもどき:2025年5月13日】
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越谷雑談がやてっく管理人ゲスト
皆様、こんにちは。
人によっては耳の痛い話なのかもしれませんが、趣味という言葉は自分の中で誇れる何かがあって初めて成立する言葉ですよね。誇れるものと言っても、大きなことを成し遂げたといった類の話ではありません。毎日仕事に行って偉いなと自分で思えれば、それは誇れるものだし、極論、生きているだけで偉いなと心の底から思えているのなら、それも自分の中で誇れるなにかになっていると言えると思います。まぁ、生きているだけで偉いという称号だけで自分を誇るのは、日本にいる限り物理的に無理だとは思いますが。
いうなれば、趣味というのはご褒美なんだと思うのです。今の自分に妥協しなかった人間が持てる人生をより豊かにしてくれる物事、それが趣味だと思うのです。
「趣味でやっているから、別にこれでいい」という発言をたまに聞きますが、これは趣味という言葉を盾にした逃避なのだと思います。じゃあ、その趣味とやらに全力を出したことはないのかい?という話になってしまうじゃないですか。楽しむためにやるというのは結構なことです。しかし、そもそも楽しむためには全力が必要だと思いませんか?力を抜いて楽しめるものは趣味ではなく娯楽です。では、仮にその趣味が娯楽という認識だったとして、もしもその娯楽に人生を変えるチャンスが舞い込んできたら、あなたはそのチャンスを「いや、これ娯楽なので」と言って突っぱねることが出来ますか?という話です。
多分無理だと思うんですよ。目の前にチャンスが転がり込んできたら、今まで娯楽という認識でやっていたことも忘れて食いつくと思うんです。つまりその娯楽という名の趣味は、自分の実力の無さを隠すための逃げじゃないですか。娯楽であることを隠すために趣味という言葉を使い、肝心の娯楽さえ実力のなさを隠すための言葉にしている。普通に全力投球で頑張って取り組んでいるよと言った方が、よっぽど楽だし味方も沢山出来ると思うんですけどね。
結局、何が言いたいかというと、趣味って言い切って全力でやってみたらいいという話です。趣味に全力投球中といって、周囲がびっくりするくらい打ち込んでいたら、それは趣味ではなく特技になるはずです。最終的には、その趣味に打ち込んだ分だけ、自分にとって誇れる何かになってるはずです。
その時。初めて自分の人生に彩りがもたらせていると気づくことになるのではないでしょうか。
なんだかお節介な文章になってしまいましたが、今日も自分の趣味を満喫しようと思っています。誇れる自分であるために、1日を全力で楽しもうと思っています。
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