
尊敬と球体【管理人のエッセイもどき:2025年6月24日】
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がやてっく管理人ゲスト
昨日、尊敬する人はいますか?と質問されました。ZOOMを使って雑談をする企画をやっているのですが、越谷雑談がやてっくはどうやって作られているのか?という話をしていく中で、尊敬している人の話になったのです。世界観なり仕組みなり、必ずベースとなる人や物を用意する僕からすると、尊敬している・影響を受けているといった人が意外と沢山いたりします。この質問は、結構迷いましたね。
尊敬って面白いですよね。その雑談を終えた後、改めて考えてみました。今の僕の考え方が形成されるきっかけは中学3年生だったと思います。当時通っていた学習塾の先生と、当時家に来てくれていた家庭教師の先生の考え方が、今の僕のモノの考え方のベースを作っていると思います。とまぁ、こういう身近な大人に影響を受けることもあれば、まったく会ったことのない出役の人に憧れることもあります。
尊敬の距離とでもいうのでしょうか?それは全く違いますよね。会ったことのない人と一時期でもほぼ毎日のように会っていた人、尊敬はどちらにも当てはまるわけです。恐らくですが、人間って球体のようなものなんですよね。僕は、尊敬している一人ひとりの様々な側面だけを見て、いいなぁとか素敵だなぁと感じて憧れている。もしかしたら球体、つまり全貌を見たときは全然尊敬できないような醜い部分も見えるかもしれない。この側面しか見えないということが距離があっても、誰かを尊敬することが出来るメカニズム的な部分なのだと思います。
僕は人を沢山尊敬した方がいいと思っています。自分らしさとか、自分にとって大切なものというのは、尊敬することからしか見えてこないです。尊敬とは、自分の輪郭をはっきりさせることです。人のこういう部分に憧れる・誰かのこういう考え方は美しいと思うということは、それが自分の美的感覚を鮮明にするということですから、鋭利になればなるほどに、自分のこだわりが見えてくるはずです。
そこから興味の輪が広がっていき、少しずつ世界が広がって、いつの間にか沢山の物事に興味を持てる人間になれると思います。尊敬できる人を探す。ライフワークにしておくと便利です。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。ちなみに、尊敬とメンターは違うと思います。根拠はありません。
ただ、尊敬している人を聞かれて沢山思い浮かべられる僕にメンターは1人もいないのです。
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