
話の所作【管理人のエッセイもどき:2025年6月26日】
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がやてっく管理人ゲスト
昨日、子どもの時のことを振り返る時間がありました。越谷密談がやてっくの密談員と話をしていたときのことです。ふと考えると、子どもの頃の僕はずっと話し相手に飢えていたように思います。頭がいいから話す内容が高度だとか、そんなことではありません。僕は、平均よりも下だと思います。
そういうことではなくて、これは所作の問題だと言えばいいのでしょうか。どんなシーンでも話し合いを求めてしまうのです。例えば、聞くときは話を遮らないほしい。話すときは順を追って話してほしい。知らないから教えてと言い合いたいし、そもそも自分が知らないことを常に仕入れてもらって、会うたびに違う話を1つ聞かせてほしい。同じ話はなるべくしないでほしい。主題を途中で入れ替えたりしないでほしい。言った言わないは持ち込まないでほしい。みたいなことです。
これがエゴだということは分かります。僕自身、なるべく心がけていますけど、毎回すべてをこなすことが出来ているとは思いません。ただ、誠意だけは忘れないようにしようと思って、なるべくネタを沢山仕入れるようにしていますし、ある程度答えが見えていても、相手の話を遮らないようにしようと努力します。
ある程度意識がはっきりしてからカウントしてみたとして、もちろん記憶違いや忘れている部分もあるとは思いますが、気持ちよく話が出来たことは数えるほどしかありません。気持ちよく話が出来る人との出会いは、本当に数名です。
特別不自由な思いをしたとは思っていません。十分に幸せな人生を送れていると思っています、ただ、足りなかった・飢えていた部分を考えるならば、間違いなくここだと思います。そして、いざ考え、意識してみると、これがどれほど自分の人生の中で大きなウェイトを占めているかがよく分かります。
お喋りが好きだからこそ、1つのお話がちゃんと完結しないと嫌なんだなと。おしゃべりについては、時間を贅沢に使いたいのだなという事が分かったのです。実直に素直な気持ちで行われる話し合いは、本当に気分が清々しいし、表しようがないくらい得した気分になります。
僕はこれからも、きっとそういう人間を求めるし、理想の話し合いというのを探すことになるのでしょう。たとえ、そうして得られたものと捨てなければならないものが明確になり、結果として孤独を招いたとしても、それが僕にとっての快感である以上、一定は仕方がないと覚悟しなければならない。
今からすごく楽しみです。そういう人と巡り合えることが。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。さぁ、月末だ。気合い入れて月末の作業をこなすか!
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