
年を取るにも限度がある【管理人のエッセイもどき:2025年7月11日】
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がやてっく管理人ゲスト
年を取るにも限度があるという話をしました。お話させて頂きましたお相手の方は60歳を過ぎた経営者さんだったのですが、今年で仕事を辞めて、今は悠々自適な時間を過ごしているそうです。僕は、インタビューをさせて頂いたのですが、お話の中でその方が「年を取るにも限度ってあるよね~」とおっしゃっていたのが、とても印象に残りました。
医療技術が発達して長生きできるようになったけど、趣味や娯楽だけでなく、使命の数も一緒に増やすべきだったよね。自分で出来る時間が増えてもさ、ここから先はやっぱり暇だよ。好きで主体的に何でもできるって言ってもさ、主体的に出来るものなんて飽きちゃうよね。使命なら、飽きることなく命を燃やせる。
こんな事をおっしゃっていたのですが、僕はこの言葉に痺れたんですよね。
確かに、今まで使命を持って何かに取り組む時間がほとんどだった人に、急に趣味や娯楽を好きなようにやってくれと言ったとしても、長続きしないなと思ったんです。多分それは、同じ取り組みでも出力に差があるんだろうなと。誰かから必要とされているだとか、自分が生きた証なのであるだとか。使命というのは、そういう「対外的なエネルギー」に満ちています。対外的というのは心の輪を広げる行為ですから、責任は伴えど安心感があるように思うのです。
1日の余暇が長くなる段階になると、どうしても使命は帯びにくくなります。もっと正確にいえば、使命だと思い込まないといけないやっていけない時間が増えるということです。年を取るにも限度があるという言葉は、今まで全うしてきた使命を鮮明な状態で心に留めておき、そのままの心境でぽっくりいけることが、実は幸せなのではないかという、実際に余暇を得たうえで、これからも生きていく人ならではの所感なのではないかと思いました。
それはすごくパワフルな言葉でもあるし、同時に穏やかでもあるように思えて、僕の心の中で反響しています。使命と趣味と娯楽、この3つがバランスよく余暇の中に入り込むことような人生が、いつか僕にもやってくるのでしょうか。まだ少し先のような話にも聞こえますが、実際夢中になってれば、あっという間なんでしょう。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。年を取るにも限度がある。僕の中の名言の響きです。
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