
1人ぼっちの夏の1日【管理人のエッセイもどき:2025年8月22日】
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がやてっく管理人ゲスト
エッセイもどきを書こうとして、ネタを頭の中でボケーっと探していると、決まって小学生や中学生のころの、1人になってしまった時のことを思い出します。それなりに遊べる友人もいました。どこかへ出かけたり、誰かと話したり、携帯電話はあったのでメールをしたり。そんな感じで、誰かと一緒にいる・なんとなく繋がっている時間の方が多かったのですが、時々偶然が重なったり、たまたまポツンと時間が空いたりして、1人でいっぺんを見つめている時間というのが、確かにあったのです。
そんな時間は今もあるのですが、今は多分、頭の中まで空っぽではないのでしょう。きっと何かが動いていて、それを自覚しているいないかというくらいの話なんだと思います。あの1人ぼっちの夏の1日は、確かに何も動いていませんでした。成長も推進も退化も後退もせず、ただそこにいた。いや、もしかするといなかったのかも。それくらい、景色というか空間と同化している自分というのがあって、動的な自分に影響を与えていた気がしてならないのです。
あれだけ何もしないことに無意識でいられたのは、もちろん学生の時の僕に時間があったからなのでしょうけど、やれることが少なかったとか、なりたい自分が明確にあったとか、その時だけは誰もいなかったとか、そういういくつかの条件が符合しないと成立しなかったと思えてなりません。それはとても贅沢でありながら、非常に寂しいことでもあります。そして今は、ただ懐かしいです。
過ごしてみろと言われて過ごせるものではなく、きっと僕は、そんな時間を過ごせたほぼ最後の世代なのだと思う。それが今の自分にどんな影響を与えているのかは分からないけれど、どんなエッセイもどきを書こうかなと思いを巡らせたときに、最初にこれを思い出すくらいなのだから、確かに意味はあったのでしょう。1人ぼっちの夏の1日。いや、意味なんてどうでもいいや。確かにあった。思い出せた。そういうものなのだと捉えておきます。
今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。選ばない1人ぼっちがあった時代。きっともうそんな時代がこない。それは、とても幸せなことなのである。
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