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デストピア【管理人のエッセイもどき:2025年6月18日】


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    • #116933 返信
      匿名
      キーマスター

      実際そうなのだろうし分かるのだけれど、同時に許せない言葉に人それぞれというのがあります。個人的な話ですが、最近は人それぞれだよねという言葉をあえて使わないで会話をすることを心がけているのですが、そうしてみたところ、話している相手から「人それぞれだよね」という言葉をよく聞くようになりました。

      人それぞれというのは感情だけを前提にして前面に押し出そうとするひどくわがままな言葉だなと思うのです。そこから先の考えはもう人それぞれだよねとか言いますが、誰もが持つ・あるいは持たざるを得ない共通の考えや言葉は確かに存在するのだから、一概に人それぞれだよねと決めつけてしまうのはよくないというか、尚早なのではないかと思うのです。

      実際のところ、すごく楽ですよね。人それぞれという言葉って。僕がその言葉を排して会話をしようと頑張ると、まぁ早い段階で人それぞれじゃんと言われます。それを言えば、暗黙的に:それ以上はこの話を進める余地はないですよね:と双方が理解するという経験を、様々な場所でしたことがあるのでしょう。だから僕が「え?そうかな?」と返すと、大半の人がビックリします。揚げ足取りみたいになるので嫌ですが、人それぞれという言葉=これ以上この話を進める余地はないが成立するのならば、世論とか世間ってなんですか?という話になります。人それぞれという漠然とした現象が成立するなら、世論とか世間という漠然としたものも確かに成立しているのですから、同じことだと思う。

      ここで大事なのは揚げ足を取ることではなくて、この世論や世間ってなんですか?は人それぞれという言葉を意図的に使わないと決めたから出てきた言葉であるということで、その言葉さえ使わないと決めてしまうと、意外と自分のボキャブラリーも増えるし、今までループ的な会話しかしてこなかった人との新たな会話の楽しみ方が生まれる可能性があるということです。

      逆に言えば、人それぞれという言葉が如何に会話の可能性を阻害しているかということで、許せないと感じる理由はそこにあったりします。ジョージ・オーウェルの一九八四年という小説の中で、言葉を簡略化する作業が描写されるのですが、これは人間を統率しやすくする施策としての役割を持っているという形で登場します。人それぞれのような進行をストップする言葉、これ以上話を先に進ませない言葉を沢山使うという行為は、ジョージ・オーウェルが思い描く「支配の工程」「思考停止への誘導」と同じです。

      人それぞれという自由を象徴とする言葉が、いつの間にか誰かに支配させやすい環境を作ろうとしているという、非常に皮肉な状況になっていると思うと、とても怖いなと感じます。そのうち会話もループのようになり、省略され、最後は最低限の意思疎通手法のみが残るかもしれないと思うと、デストピアはすぐそこまで来ているのかもしれません。

      今日も、がやてっくにアクセスしてくれてありがとうございます。
      これからも、がやてっくを宜しくお願い致します。

      あまりにも暑すぎて怖い話をしてみました(笑)

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