【あなたの人生教えてください】挫折-人生の苦境、現実はあまりにも厳しく残酷だった-【がやてっく話題】
- 2025/02/02 18:00
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皆さま、お久しぶりです!!
癒しの子育てアドバイザーことまなみんです!!
今回は、私の人生のなかの『挫折』についてお話させていただきます。
保育士という夢
私は『保育士・幼稚園教諭』になるのが夢でした。そもそも私が『保育士』を志したのは、小さい時に通っていた幼稚園の先生との出会いでした。
3人兄弟の中で1番上だった私は、園の行事に父母が参加出来ない事が多々ありました。そんな時、その先生が私のお母さん代わりになってくれました。それが、すごく嬉しかったんです!!
周囲でも、自分より年下の子が沢山いて、面倒を見るのが好きだった私は、いつしか先生という仕事に憧れるようになったんです!!
高校卒業後は、夢を追いかけ保育の専門学校(3年間)に入学。22歳の春。ずっとなりたかった『幼稚園の先生』になりました!!
夢、叶える
就職内定をいただいた時は、すごく嬉しかったです。学校で教わったことや、先輩方の先生の良いところを沢山吸収して、1日も早く一人前の先生になりたいと、やる気に満ち溢れていた思いを今でも鮮明に覚えています!!
就職先は私立の幼稚園でした。私は、新卒にして初めて年少組の担任を任せて頂くことになりました。
右も左も分からず、1日でも早く園に馴染むこと・仕事に慣れることを目標に、ただひたすらに仕事に打ち込みました。常に学ぶ姿勢と女性が多い職場での特殊な年功序列社会での配慮を忘れずに、園児や保護者への気配りを大切にしながら、初めての園生活をスタートした子どもたちに、『幼稚園って楽しいところ♡』『まなみん先生は楽しい先生♡』と思って貰いたいと奮闘しました。日々全力で仕事に向き合っていました!!
4月は生活環境が大きく変わります。泣き出す子も沢山いましたし、不安に思う保護者の方もいらっしゃいます。私は、私の受け持つクラスに関わるすべての人々に安心してもらいたいと思っていました。
幼稚園での様子をお伝えすることで、保護者には安心してもらいたい。信頼して『行ってらっしゃい!楽しんできてね!!』と送り出してもらいたい!そんな気持ちから、とにかく保護者の方との信頼関係を大切に築いていきました!!
希望に満ちていた最初の方は上手くいっていたと思います。すごく楽しかったし、やりがいもあったんです。
しかし、、途中から歯車が大きくズレ始めました。。。
園内で『いじめ』を受けるようになったのです。。。
暗雲
影口や嫌がらせ程度であれば、まだ耐えていたと思います。。。
今思えば、この考えがそのものが甘かったのでしょう。しかし、20代の当時の私にはそれが分からなかった。女性が多い職場でのいじめは、自分の想像をはるかに超える悪質ないじめが沢山あったのです。
例えば…
・受け持ってる私のクラスの名簿に使うゴム印が全て無くなる
・私のクラスの制作物(作り途中の作品)が数名分無くなる
・保育参観で使う予定で準備した制作に使う部品が私のクラス分だけ無くなる
・隣のクラスの先生と私のケータイに夜中1分おきに非通知から電話がかかり、着信履歴が埋め尽くされる
などなど。
日に日に精神的におかしくなってしまいました。。。
犯人が分からないことの恐怖や、『大丈夫?』と優しく声をかけてくださる先輩に悩みを打ち明けても、次の日には話が違って広まっているといったことによる疑心が、心を蝕んでいくのです。
物が無くなる度に、全職員の前に立たされたりしました。無くした自分が悪い・物の管理もできないの?と園長や主任などに強い口調で言われたりもしました。とんだ新人を雇ってしまったという冷たい言葉は、今でも記憶の中に残っています。
いつどこで物が無くなってしまうのか恐怖から、神経を擦り減らしてしまい、最終的には、人がちょっと動くだけで、動悸と吐き気に襲われるようになりました。
それでも、子どもといる時間は全力で先生に徹しきりました。先生としての仕事は全力で頑張りました。しかし、、途中で限界がきました、、身体がいうことを聞かなくなり、うつ病を診断されました。。。通勤できなくなり、、電話も取ることが出来なくなりました。。。
うつ病は本当に大変でした。眠いのに寝れない。お腹は空かないし、口に入れると吐いてしまう。自分は価値のない人間だと感じる。生きる意味や価値を常に見失っているような状態です。
大きな失意、希望の言葉
どうしても、忘れられないエピソードがあります。
無断欠勤から3日ほどして、1本の留守電が入りました。。。主任からのものでした
私は『電話に出ないとは何事だ。社会人失格だ』など言われてるのかなと予想しながらも、留守電を聞いてみました。
電話の内容は、私のクラスの園児の不幸を告げる連絡でした。
休日お家で朝目覚めるはずの子が目覚めないと、、
保護者が確認したところ、、お亡くなりになっていたと。。。
持病は無く、、とても元気な子でした。
給食を完食すると手の甲にスタンプを押していたのですが、それをもらいたいがために頑張って残さずに給食を食べてた。そんな、いつもニコニコな子でした。
まだ4歳になったばかり。
頭の中が真っ白でした。
残酷すぎる、早すぎるお別れでした。
お通夜の日は、雨が降っていました。
まさかこんな形でこのスーツを着るなんて思いもしませんでした。
こんな時でも、職場の先生たちに会いたくないという気持ちが、正直なところありました。
でも、亡くなってしまった子にもそのご家族にちゃんと会いたい。きちんとお別れをしたい。
その一心で、向かいました。
行き交う人と目も合わせられない精神状態だったので、傘で顔を隠すようにして。
お通夜には、当たり前のように職場の人がいました。
私は深くお辞儀をて、中に入りました。。。
小さな棺と、、、ただただ泣いているご両親の姿が目に映りました。
私が行ったところで、ご両親はどう思うのだろう。
担任を放棄した私に対して、無責任だと感じているかもしれない。
そんな風に思うと、とても合わせる顔も無く、段々と申し訳ない気持ちになってきました。
ご両親は、泣きながらも私を笑顔で出迎えて下さいました。
そしてわが子に向かって、こんな風に声を掛けてくれたのです。
『ほら、まなみん先生来てくれたよ!○○(名前)良かったね!!大好きな先生来てくれたよ!!会いたかったもんね!!』
棺の中の子は、眠っているかのように目を瞑っているだけかのような可愛いお顔でした。
そのお顔を見て、気づいたら声を荒らげて泣いていました。
ご両親以上に泣き崩れてしまいました。
ご両親の方が何倍も辛い事は分かってしましたが、こらえることが出来ませんでした。
その時は、もう人目を気にすることなんてできなかったのです。
職場の主任に抱き抱えられ『そんなに泣くのはやめなさい。保護者の方が辛いんだから』と言われました。
その言葉を聞いて、必死に涙をこらえようとしました。でも、無理でした。
新卒で初めて受け持った子。。。
人生4年目の子。。。
もぉ、、その目は開くことは無いんだ。。
元気な声、、聞けないんだ。。。
辛い、悲しい。。。苦しい。。。
それだけが、頭の中をぐるぐると回っていました。
この時、その子のご両親から頂いた言葉があります。
この言葉はとても心に刺さり、今後の私の生きる意味・使命となりました。
『〇〇(名前)は幼稚園が大好きで、休日も幼稚園に行きたい!と言ってたんです。まなみん先生のことが大好きで、家ではいつもまなみん先生の話ばかりだったんです』『最初で最後の先生がまなみん先生で良かった。どうか、、場所は変わっても『先生』は続けてください』
泣いているご両親からいただいた言葉。つらいはずのご両親が私に掛けてくれた言葉。
それが私の中の勇気を刺激しました。幼稚園の先生を続ける勇気です。
私は間違ってなかったんだ。
届いて欲しい人にちゃんと届いてたんだ。
そう思いました。
ご両親に挨拶をして外に出ると、『まなみんせんせー』と呼ぶ子供の声が。
声の方を見ると、私のクラスの子どもたちと保護者の方々がいらっしゃいました。
私は立ち止まり、深くお辞儀をしました。クラスを投げ出してしまった、申し訳なさからくるお辞儀です。すると、子どもたちに紛れて数名が駆の保護者も駆け寄ってきてくれて、そのうちの1人の方が強く抱きしめてくれました。びっくりする私にそのお母様は、『今まで頑張ってくれてありがとう!大丈夫!わかってるから!まなみん先生がしてきてくれたこと伝わってるから!!』と言ってくださいました。
この時『あぁ私は職場には恵まれなかったけど、クラスの子たちや保護者にはかなり恵まれていたんだな』と。『私は新卒だったけど、がむしゃらにまっすぐやってきたことは、伝えたい人に届いてたんだ』と。
こちらこそ、ありがとうございます。こんな形で逃げるように去るのは悲しいし辛い。
でも、ここに居続ければ自分を見失ってしまう。今のままでは自分のクラスの子さえ、守ってあげることが出来ない。だから、この園は去ろうと決めました。
しかし1つだけ、確固たる決意が固まりました。
『先生』は辞めない!!納得いくまでやる‼
そう、強く心に誓いました。
退職
こうして長年の描き続けていた夢・目標だった『幼稚園の先生』としてのスタートダッシュは、2ヶ月で1つ目の園を退職する形となり、幕を閉じました。
たった2ヶ月?と思う方もいるかと思います。
私だって当時はそう思っていました。
うつ病を受け入れたくなかったし、私は悪くないのに、なんで私がやめなきゃいけないんだろう。
と思っていました。
保育の現場は、新人だろうが何だろうが、子どもの命を預かる以上、クラスを任される以上は『プロ』でなきゃいけない。保護者の方に、大事な子どもを預けてもらっている以上は、完璧な仕事をしなければならない。『新人か、ハズレだ』と思われてはいけない。
石の上にも三年。
耐えなければいけない。
みんな耐えてきてるんだ。
せっかく就職出来たのに履歴書に傷がつく。
ここで辞めたら、私がいけませんでした。って認めることにならない?
などなど。。。
本当に本当に常に悩んで、、
辞めるべきか、続けるべきか、、
誰のために、、何のために、、
誰の幸せになるのか、、
私の存在価値は。。。。。
考えて考えて考えました。。。
でも、人間はもろいです。『心』が壊れてしまったら、無理に進めようという気持ちを持つことは出来ません。最後まで出勤しようとしてましたが、私の両親は心底心配してました。
もしかしたら、電車のホームに飛び込んでしまうかもしれない。そんな風に思っていたみたいです。
子どもの未来のために先生として頑張りたい!
そう思うように、私を大事に思ってくれる、両親や家族がいます。
心配はかけたくありませんでした。毎日『大変💦』って言いながらやりがいに満ち溢れた毎日を送ってる予定でいました。
悩むなら出会った子どものことで悩みたかったです。
沢山学んで、素敵な先生になりたかったです。
信念を曲げずに、最後まで貫き通す
思わぬ形で、ライフプランが崩れました。
しかし、素敵な保護者の方々から素敵な言葉を頂くことができ、私はその後、保育の仕事を計12年続けていくことが出来ました。
昨年出場したBeauty JAPAN 日本大会で、私だけのテーマスピーチでもあった『苦境に立たされた時のあなたの勝ち方は?』でも用意していたのですが、
その答えは『自分の信念を曲げずに最後まで貫き通すこと』です。
気持ちや姿勢において、自分の信念を貫くこと。それが一番だと思っています。
❈どんな人にどんな事を伝えたいのか
❈何を共有したいのか
❈そのためにどんな事が自分にできるのか
❈今自分に出来ることを全力でできているか
ブレずにできるか出来ないかが、大きいのではないかなと私は思います。
もちろん!
心、身体無くしては生きていけません!
自分の、身体は自分で守らなければいけない。
自分を守れて初めて、相手に手を差し伸べられる。
だから自分の環境は整えていく必要があります!!
自分の身を滅ぼしてまで犠牲にするものでは無い!
まずはどうか、自分を大切にしてあげてください。
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さて、今回は私が過去に経験した『挫折①』に付いてお話しましたが、
どう感じられたでしょうか??
わたしは現在
2児のママでありながら、
子育てアドバイザーとして活動してますが
自身の経験から
育児について
産後うつ、育児うつの方
うつ病の方
保育の職場で悩んでる方
乳がんの方、そのご家族
不妊治療
パートナーシップ
の方々の相談・カウンセリングも行っています。
もし、話してみたい!聞いてみたい!
という方がいましたら
InstagramのDMよりメッセージをお願いいたします。
『越谷がやてっく』を見ました!
と書いていただけた方には
1回無料にて、ご相談・お話など聞かせて頂きます。
もちろん、こちらの記事の感想ご意見などもいただけたら大変嬉しく思います✨🥹
Instagramアカウント⬇
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最後まで
読んで頂きありがとうございました!!
次回は、2ヶ月で辞めたその後についてなど
【新たな再スタート】について
お話しさせていただければと思ってます!!
まだまだ寒い日が続いてます!!
皆さん身体に気をつけて
自分を大切にお過ごしください